以前クラス会の話をしましたが、ここで気の付くことは、「人の老け方(老化)には、随分差があるなぁ」ということです。本当は 60 歳くらいなのに、どう見ても 70 歳を超えているように見える人もいれば、 40 歳台だと言っても立派に通用する人もいます。差引勘定すれば、実に 20 歳くらいの差が出てくるのです。どうしてこのような差が出てくるのでしょうか。
老化するのとは逆の成長の段階を見てみますと、個人差があるといっても老化ほどその差はひどくありません。赤ん坊はほぼ同時期に歩き始め、しゃべり始めます。健康でありさえすれば、青少年期に現れる色々な身体的変化も、大体時を同じくしています。つまり、人間の成長は誰でもほぼ同じなのです。このことは人間だけの現象ではなく、ほとんど全ての生物に当てはまります。どの時期に、どのような早さで、どのように成長するかは、遺伝的に決まっています。遺伝的に決まっているということは、成長のプログラムは生物を形づくる個々の細胞の遺伝子に組み込まれているということなのです。そうして、この成長の過程は余程の環境の変化が無い限り、横道にそれることはありません。
では、もう一度老化の過程を振り返って見てみましょう。老化も成長と同じように遺伝子のプログラムで決まっているのでしょうか。老眼になる時期は人によってそれほどの差はありません。閉経の時期も同様です。禿げになる家系の人は禿げになりやすいし、白髪の家系の人は白髪になりやすいのです。また、長寿の家系には長寿の人が多いのも事実です。
しかし、老化には遺伝子だけで説明しきれないものがあるようです。精神的、肉体的につらく過酷な毎日を送る人は老けやすいことを、逆の立場の人はあまり老けないことを、我々は経験的に知っています。
寿命というのは老化の究極の結末ですから、これまでの話は全て寿命にも当てはまります。つまり、成長はほとんど遺伝子のプログラムによって決まっており、個人の意思や努力が入り込む余地はないのですが、老化や寿命は個人の意思や努力により、老化の質や早さの変更が可能であるということなのです。この話を次回も続けます。
(2004年9月1日掲載記事)