私自身は、若い頃は運動が苦手で、屋内で遊ぶことの方が多かったのですが、中年の頃からゴルフに熱中し始め、文字通り下手の横好きですが、古希の同窓会を済ませたばかりの現在でも、このゲームにはまり込んでいます。「ゴルフは健康にいいですね」と訳知り顔に言う人もいますが、ジョギングや水泳、登山と並んでゴルフは死亡事故の多いスポーツで、それほどでなくても、酷暑、酷寒の中紫外線を浴びて農薬がたっぷり散布された芝生の上でのこのスポーツが、健康にいいとはとても思えず、面白いことと、排気ガスが無い分だけ、ジョギングよりわずかにましかな、と思っています。
随分、運動の悪口を並べ立てましたので、「せっかく身体にいいと思ってやってるのに。そら、あんまりや」と運動好きな方は思っておられるでしょうし、運動が嫌いな方は「ひそかに俺の思ってたとおりや」と、にんまりされておられることでしょう。ここで誤解の無いように申しておきますが、今まで述べてきた運動とは、生活の必要以外に殊更に身体を動かすこと(ほぼスポーツと同義)を意味しており、運動を文字どおり「身体を動かすこと」と考えると、私の運動に対する解釈はまた違ったものになるのです。
ホメオスターシスという言葉があります。難しい言葉で、「恒常性」と訳されていますが、これでは何のことか分かりません。「生物が本来あるべき姿を維持しようとする能力」とでもご解釈いただければ、と思います。
例えば、人は日が没するとともに活動を停止し、睡眠に入ります。そして次の日、日が昇るとともに活動を再開するのです。そうしていつもこのサイクルを維持しようとホルモンや自律神経が身体をコントロールしているのです。だから、昼夜逆転の生活などは、このホメオスターシスに逆行するもので、身体に色々なひずみ(不健康)をもたらすのです。
人間の「本来あるべき姿」とはどんなものだったかは、太古の人間がどんな暮らしをしていたかを想像すれば知ることが出来ます。当時の人間は狩猟や農耕などのために日常的に肉体労働をしていたに違いありません。その中でも、特に「歩く」ということは、最も基本的な労働であったことでしょう。
人間が二足歩行を始めたときから、歩くという運動は生きてゆくためにどうしても必要なものでした。ついこの間までは、人々は毎日歩きに歩いており、それは生活そのものでありました。歩かない人や歩けない人は死ぬより他なかったからです。歩かない人や歩けない人が、何とか生きられるようになったのは、それほど遠い昔のことではありません。多分、明治以降のことでしょう。
だから、ほとんど歩かない現代の生活は、ホメオスターシスの観点からも、不健康きわまりの無いものと言わざるを得ません。歩くということを運動とは考えずに生活の一環として、日常に取り入れてゆくのが大切だと思います。
結局、「歳とってからの運動はどないしたらええねん」との質問には、次のように答えることにしています。
①運動は好きならば、やりなさい。嫌いならば、やめておきなさい。
②歩くことを運動とは思わずに、なるべく多く歩きなさい。
③自分のことは自分でやり、こまごまと身体を動かしなさい。
私自身は①は実行していますが、②、③は努力目標となっています。
《参考文献》
『スポーツは体にわるい』加藤邦彦著/光文社
『不老革命』吉川敏一著/朝日新聞社
『活性酸素の話』永田親義著/講談社
(2006年9月1日掲載記事)