地球上のほとんどの動物は、酸素が無くては生きていけません。私たちはこの酸素を使って自分の摂取した食べ物を燃やし(酸化させ)、体温の維持、筋肉活動、脳の活動を支えるなど、生きていくのに必要なエネルギーを得ているのです。
 人間の身体を自動車に例えるのは憚りがありますが、自動車はエンジンで燃料(生物の食べ物に相当)を燃やして(爆発させて)車輪を回すエネルギーを取り出しています。生物の身体も本質的には同じなのですが、二つ違うところがあります。
 一つは、自動車ではエンジンは一つだけですが、生物では細胞一個一個にエンジンが備わっています。そういう意味では、自動車は一個一個の細胞に例えるのが適当なのかもしれません。細胞の中でエンジンに相当するのが、ミトコンドリアと呼ばれる部分で、ここで細胞は(つまり生物は)食べ物を燃やし必要なエネルギーを取り出しています。
 もう一つの違いはエネルギーの取り出し方で、自動車では燃料を爆発させてエネルギーを取り出しますが、細胞の中ではそんな乱暴なことは出来ませんので、燃料をジワジワ燃やしてエネルギーを取り出しているのです。
 この二つのエネルギーの取り出し方は、ちょうど、核反応のエネルギーを一気に取り出す原子爆弾とジワジワ取り出す原子力発電との関係に似ています。しかし、生物のジワジワ燃やしのジワジワさや、エネルギーの取り出し方の効率の良さは、原子力発電など足元にも及ばない精緻なもので、この仕組みは、天が生物に与えた最大のプレゼントだと言っても褒め過ぎではありません。活性酸素とは何の関係もありませんが、愛情も人生の目標も、一気に爆発させずにジワジワ燃やすのはなかなか大変なことなのです。
 天の与えたプレゼントだから良いことばっかりかと思っていると、「世の中、そう甘いものじゃない」と登場してくるのが活性酸素なのです。
 残念なことに、生物が食べ物を酸化してエネルギーを取り出す際に、微量ではありますが、活性酸素が必然的に発生するのです。人間で言えば、呼吸で吸った酸素の約2%が活性酸素に変身すると言われています。我々は呼吸をしている限り(つまり生きている限り)、老化や病気の原因になる活性酸素を自分で作り出し、そうしてその攻撃を絶え間なく受け続けているのです。
 生きていることが健康に最も悪い。まさに、因果はめぐっています。
(2005年3月1日掲載記事)